
2026年3月30日月曜日
10時入院で、ちょっと早めに着いたのでS病院売店で「踵があって着脱しやすいもの」と指定された患者用靴や吸飲みなんかを買い足して、色々と承諾書とかにサインしてから病棟へ。クラークさんが案内してくれました。部屋の貴重品入れの鍵が病棟の入り口開閉の鍵にもなっていて、これなら中等度以下の認知症患者は離設できないね。と感心しました。最後の術前検査、脳転移の有無を調べる造影MRIがこの手術前日、入院日オンコールなのでまたまた絶食指定で低血糖でした。呼ばれたのは午後一番な感じの時間帯でしたね。技師さんと看護師さんもこの仕事量じゃあ、まだお昼食べられていないんだろうな。とわたしのせいでちょっと申し訳なくなりました。うるさいと評判のMRIなので、耳栓も買ってバッチリです。さらにヘッドホンもつけてくれました。またまた太ったせいで造影剤を入れるルート確保に苦労し、またまた左正中です。CTもPETも長年の採血も、ぜーんぶここになってしまいました。すまぬ。退院したらターメリックのエッセンシャルオイル入りごま油でマッサージするからね。と一人(?)串刺しにされ続けている静脈に、心の中で詫びました。五十肩なので、またすみません、ポジショニングで一手間取らせてしまいました。目も口も動かさないで。と言われたのでヒェ〜。と思いつつ検査台がウィ〜ン。と動いて中に引き摺り込まれましたが、その際左腕が機械の内側に当たったのでつい身動きしてしまったらブチ切れた技師さんにまた元の位置に出され、お説教をされていたようなのですが、耳栓+ヘッドフォン。でがっつり聴覚を保護されたわたしにはよく聞こえませんでした。
まあ多分、動くんじゃねー!!!(-_-メ;)
と怒ってるんだろうな、と思いつつ、左腕が機械の内側に当たったもんで…。と言い訳をしました(この辺の図太さは中年になったからだと思いますね!)。再ポジショニングの上、また機械に吸い込まれました。当たっても気にすんな、とにかく動くな。と言われていた感じだったので、身じろぎしない、動かない。と言い聞かせ続けました。騒音は思ったほどではなかったですが、いきなり音の種類が切り替わるのでビクッとしそうになりますし、動いちゃダメ時間が長かったのと、単純と造影と2回撮ったので倍時間がかかったのと、朝から食べてない低血糖のグロッキーさとで、映えある術前検査ワースト1は頭部造影MRIさんに決定しましたー!!!
2番目はお財布の寒さと拘束時間と動いちゃダメ時間の長さと絶食系検査なことからPETCTですね。造影剤自体は、CTもMRIも大丈夫でした。
あとは特に術後リハビリのオーダーは入っていないけれど、と新入院ルーチンなのか(?)、理学療法士ちゃんがやってきて、歩いて見せれ。というのでぐるっとナースステーションの周りを1周しました。これって何mくらいなんだろう…?あとはふくらはぎの太さを両側とも計測されました。手術でどれだけ衰えるかチェックなんでしょうか。
栄養士さんもアレルギーチェックにやってきたので看護師のカルテと共有してないの?と思いつつ、何度目だよ。とも思いつつ、ナスとキウイで口唇アレルギーです。宗教的理由で肉は食べません。と言ったら毎回の食事の際の名札に、「肉禁」と書かれて赤線が引かれていました。なんでナスとキウイ書いてないんだろう?
と思いましたがわたしの仕事ではないので! 気にしませんでした。
あとは麻酔科の先生が、全身麻酔前回診にいらしたので、入院説明の看護師さんには義歯持っていけ!と言われていましたがわたし自身は要らないんじゃない?と思っていたので麻酔科の先生に確認しましたら、しなくていーよ(そもそも1本だけ永久歯が生えないがために、歯列がおかしくなるのを防ぐ用。でしかないので週に2、3回しかつけてないんです…)。と言われたので、作るのは高かったので、誤嚥したり無くしたら困るな。と思って外したままで手術に臨むことにしました。担当の看護師さんが(遅れてアレルギー起こすと困るからでしょう)MRIの送迎をしてくれました。終わると3時過ぎだったので、もう今の時間ですと食事はロクなのがでないので、1階の売店でお好きなものをお買いになられた方が良いと思います。
と言われたので卵サンドイッチを買って帰りました。
この担当の看護師さん(ほのかに匂う)には、「私不勉強でよく知らないのですが、mRNAワクチンって何でしょうか?輸血するとまずいものなのでしょうか?」と恐る恐る聞かれました。いやー。そこはよく勉強して欲しかったよ…。打っちまったんだね…。と思いつつ、「新型コロナウイルスワクチンのことです。遺伝子の破片がゲノムに入り込んでしまっているので、その献血者による輸血製剤を用いると新型コロナウイルスワクチンを打ったのと同じことになってしまう可能性があるので」と答えるに留めました。
「発がん遺伝子の破片が入っています。刺入部の上腕に留まるのはわずか4分の1で、75%は全身に流れます。LNPが多く蓄積するのは卵巣と精巣なので女は不妊、男は断種となります。米軍が作ってファイザーのラベルを貼った、2つ揃って殺戮効果を発揮する生物兵器です。千人以上の日本人が亡くなっているのに未だに回収もされません。」とまでは言えませんでした。目の前のスマホで調べておくれ。
4時からK部長による病状説明です。きれいにプリントされた何枚もの紙に沿って行われました。PETCTの結果、先生が転移を疑っていた楕円形の縦隔リンパ節は取り込みがなく、左上葉のチクチクする子は取り込んでいましたが、わたしはウンウン、結核も陽性になるよねー。と思っていました。なぜか左腋窩リンパ節に軽い取り込みがあったとのことです。なんだろう。今左の五十肩がひどいからかな???K先生もなんでしょうね?と首を捻っておられました。
頭部MRIも脳外科の先生にチェックして頂いて転移なし。全身の造影CTも同じく。とのことでやはり術式は胸腔鏡下左上葉切除術になりました。いわゆるVATS(video-assisted thoracic surgery、ビデオ補助下胸腔鏡手術)ってやつですね。
生検をしない理由は、やはり生検の針による播種(がん細胞ばら撒き)の危険性があり、内側からも外側からもアプローチしづらい位置であること等が挙げられました。一度に取った方が根治率が上がるのと、病理に丸っと組織を提出出来ますから、正確な診断と遺伝子検査などが行えてその後の治療(する気ないけどな!)に役立ちます。とのことでした。
仮に出血多量で危篤になって、そこへつけ込むように外科医にほれ、今輸血しないと死んじゃうよ?と言われても絶対にしないで。もしそんな変節したと分かったら抗議の意味も込めてS病院から飛び降り自殺するからね。と事前に脅しておいたせいか、姉は手術承諾書にサインしてくれました。術後は、長くおしゃべりをするか、個室なら歌を歌うか歩くかして、とにかく肺に振動を与えてください。そうすると合併症の肺炎や無気肺を防げます。とのことでした。
説明が終わるともう夕食でした。初の病院食です。

全体的に白っぽくて味が薄かったです。ふりかけの、「ゆかり」を買ってきてくれるよう姉に頼みました。そしてこ、これが1600kcalの3分の1!?とその少なさに驚きました。というか、自分がいかに普段食べ過ぎていたかがよくわかりました。1キロくらいは痩せて帰りたいものです。
昔懐かし、ネブライザーも始まりました。1日3回もやるそうです。初回は、妙にirritatingと言いますか、気道刺激性が強くて、ひどく咳き込んでそれまで痰なんて出ていなかったのに、出てきました。まあ、痰を出させるための薬なので、とってもよく効いてしまった。ということみたいです。夜は退屈だったので町BBSとかを見ていました。22時就寝。
3月31日火曜日・手術日当日
午前2時起床。まあ、普段4、5時間睡眠ですから、10時なんて早くに寝れば起きるの今くらいだよね…。と思いつつ30分くらいもう一度寝ようと努力してゴロンゴロン転がりましたが無理だったので起き出して、遺書というか遺言状のようなもの。どう始末を付けるか。を書いて3時半頃また眠くなったので寝ました。朝5時台にシャワーを浴びたので清潔さ(?)はバッチリ。
朝6時に、アルジネードウォーターと言う、アルギニン酸と亜鉛と、人工甘味料入りだったので正直あまり飲みたくない飲料を2本渡されました。

これが術前点滴の代わりだとのことで2本合計250ml飲むよう言われました。以後は絶飲食です。
ICUに1泊「転棟」するので、昨日入ったのにまた荷物をまとめないといけないので荷造りしました。多分ICUはうるさくて落ち着かなくて眠れないだろうから、と転棟用グッズにラベンダーのエッセンシャルオイルも入れてみました。下肢深部静脈血栓症予防に、と弾性ストッキングも渡されました。
姉に余った荷物と遺言状を渡して歩いて手術室へ。エレベーターから降りると、ちょうど入り口の真上になるのでしょうか、とても広々として明るい、ガラス張りの手術を受ける患者家族の待合室。がありました。自販機まであって本やPCさえあればしっかり時間を潰せそうです。
担当看護師さんから、「今のお気持ちは?」と聞かれたので「ワクワクしています、この歳になって経験したことのないこと(全身麻酔、手術)を経験できて」と正直に答えました。フツーは「緊張します」が正解(?)なのでしょうが、「ドクターなせいか度胸がありますね」みたいなことを言われました。
ただ、2026年3月終わりから4月にかけて、イランとアメリカの戦争でホルムズ海峡封鎖が続けば輸入が絶えて癌であろうがなかろうが、国民は餓死するだろうから別にどちらに転んでも構わない、と言うのは正直な気持ちでした。そもそもこういう「ちゃんとした」医療行為も、モノがなければだんだん出来なくなっていく訳で。医療崩壊と食糧危機の2本だてで、国民をごっそり減らしたいわけですから悪い人たち。は本当に、用意周到ですね。
S病院のOpe室は9部屋もあるのにフル稼働とのことでした。癌、増えてるもんね。SV40、発ガン遺伝子の破片入りの新型コロナウイルスワクチンと言い張る遺伝子改悪毒液を、国民の8割が打たされたし、いまだに産業廃棄物を打たされ続けてるんだもんね。と思いました。
わたしはOR3、3番目の手術室で、3が好きな数字なのでなんだか嬉しくなりました。
9時半に入室です。手術時間は癒着とかあって剥離に時間がかかるから前後することはあるけど2時間から2時間半。と言われていました。狭い手術台に寝転んで、若くて可愛い麻酔科の女医さんに「緊張します」と言われつつ、年上のBBA女医相手じゃ緊張もするよねえ。ごめんねぇ。と思いつつ左手背と手首の静脈からの点滴ルートを取られ、硬膜外麻酔でさらにデブの弊害を体感しました。亀のように丸まって胸椎間腔を開く姿勢が、腹肉と顎肉が邪魔で息が苦しかったので。最初の狙った胸椎間腔はなぜか穿刺部位と離れたところに痛みが響いたので、いでデデデ。と騒ぎ、その1個上でトライしたら大丈夫だったみたいでした。ぺちゃくちゃおしゃべりして画像を眺めて待っていた呼吸器外科の執刀医ズが手洗いに行かれました。最後に、術中迅速で癌じゃなかったら抗酸菌の培養を出してください…としつこく頼んで、フェンタニル注入で胸元がポカポカして面白いな、と思ううちに多分ドルミカムと吸入麻酔が効いてきて深呼吸していたら眠りにつきました。
起こされてはっ。と気がついたら手術室から出たところで、手術室看護師からICUのナースに申し送りがされていました。手術中に心拍数が20まで一時的に下がったとのことでした。多分迷走神経反射だと思いますが、三途の川はあいにく見えませんでした。猫たちがにゃーにゃー鳴いていれば良かったのに。
執刀医の部長先生が爽やかに近寄ってきて、「(術中迅速診断の結果、)癌でしたよ」とおっしゃったので、ありがとうございました、と言った気がします。
(その晩の姉からのメールによると、家族待合室で待っていて、13時35分に執刀医の先生がわたしの左上葉を手に現れて、手袋をくれて持たせてくれて癌の部分も触らせてくれたとのことでした。姉も2度手術歴があり、自身の検体を見たがったそうですが本人なので見せてもらえず、悔しがっていました。病理写真のような写真も撮らせていただき、とてもサービス満点な病院だなと思いました。少しだけ2度の肺炎歴のせいか癒着があり、また、正常変異で上葉と下葉がきっちりと分かれておらず、くっついた上葉と下葉をメスで切り分けて、下葉も縫う羽目になったため少し時間がかかったとのことでした。手にした感じでは350gくらい?とのことでした。)
なぜかものすごく鼻が詰まっているのに酸素の鼻カヌラを当てがわれたので、「鼻がみだい」と言ってかませてもらいました。
ガラガラとベッドごと移動して、気がついたらICUに貼り付けられていました。そう、まるでガリバーのようだったのです。

左手はAラインとVライン。右手はSpO2のモニター。
胸部は心電図モニター。両足はフットポンプ。
左脇からはトパーズという、最近流行りの小型移動式で電子制御、肺を膨らませるための陰圧を作り出し、漏れ出た空気の量を検知・表示するお利口さんな機械に繋がったドレーンチューブ。背中?からは硬膜外麻酔。両足は血栓を作らせまいと締め付けては放し。を生真面目に繰り返すフットポンプ、股からは膀胱留置のバルーンカテーテルでしたし。10個以上の頸木ですね。
いやぁ〜、高齢者がせん妄になるの、わかるわ。とちょっと思いました。光とアラーム音による絶え間ない警告。この拘束感。ろくに身動きが出来ない狭いベッド。「取ってはいけない」管の数々。1個挟んだ隣のベッドは認知症の方だったようで(それでも入院が必要なくらいには重症ってことでしょう)、ひっきりなしにベッドから降りては帰ろうとしていたらしく、若い看護師さんが一人、張り付いて必死に言葉で静止し続けていました。正直、それが一番うるさかったですね。人権派()の人たちが拘束はいけない。とか言うから、こうするより他ないんですよね。消灯近くなって他の人の迷惑になるからか、「静かになるおクスリ」を打たれたらしく、以後は大人しくなりましたが。ずっとガリバー状態で仰向けで、背中が自重で一番辛かったので、必死に側臥位を取ろうとしましたが左は手術側なので何がどうなっているのかわからず、体重をかけて良いのかわからなかったのと、左手にガッツリラインが入りまくって点滴用シーネで固定されていて、ロボットの手のようだったので利き手なのに全く頼りにならなかったんですよね。それで右を向いて、正面になって、リモコンで背中を起こして、倒して。という感じで褥瘡予防に努めました。一度背中にクッション入れて体位交換しますか?と聞かれましたが、知ってる、それ一度交換すると辛くなってもしばらく来てくれないやつ…。とクッションを自力で抜けるとは思わなかったので断り、身じろぎする太っちょの芋虫のように、セルフ体交を続けました。水飲みテストがO.K.だったので経口の去痰剤(アンブロキソール)と鎮痛薬(アセトアミノフェン)が出て、全粥1600kcalの食事が出ました。口の中が、水飲みテストの時に1回濯ぎましたがすごくネバついていて、味覚が低下していて食欲が全くありませんでした。麻酔薬の毒性でしょうか、舌苔増えまくりんぐな感じです。スマホはお財布と一緒に病院預かりになっていたので画像なし。そして利き手の左手がロボットアームだったので、利き手ではない右手にスプーンを持って辿々しく口元に運んだため、自然と食べるのがゆっくりになりました。胃に蓋がされているようで食べる気がしませんでしたが、点滴が抜けるには明日の朝食で5割以上食べること。が必要条件だったので、5割まで頑張ろうと思いましたが、必死に頑張っても4割で疲れてしまいました。量ばかり気にしてメニューはさっぱり覚えていません。
わたしは ICUのメンツの中では若年の方で(お向かいのベッドは消化器外科で、「全部取りきれましたよ」と言われていたのでやっぱり癌っぽいお爺さんで、気の毒なことに禁食でした)、術式も低侵襲でバイタルサインも割と落ち着いていたせいか、卒後1年目という若い看護師さんに担当されました。わたしの肺を聴診して、「こんなに綺麗な音は久しぶり」と感動されました。「ここに入るの、高齢者の方が多いので…。」とのことでした。まあ、確かに遥か古の昔、放射線科で腹部超音波していた時も高齢者はなぜか描出しづらかったり、綺麗な画像にならなかったんですよね。わたしが下手なせいかしらと思ったらゴッドハンドと呼ばれていた技師長でも高齢者はいまいち綺麗じゃなくて。そんな現象が肺にも起きているのだろう。と思いました。
自分としては気管の真ん中にでっかい痰の塊があるのはわかっているけど、胸骨下端の剣状突起から両横隔膜にかけてが麻酔中の人工呼吸で強制的に動かされ続けたせいか呼吸をするたびに痛くて、深呼吸をしようにも腹筋も(疲労で?)カチカチに固くなっていました。それで思いっきり咳き込んだり痰の喀出をしたりということが出来なかったので、さぞ濁った湿性の肺雑音がするだろう、と思っていたのですが。
いっそのこと、ミニトラックを喉元に作って直接吸引してもらった方が楽かしら、と思うくらいには邪魔な痰の塊の存在感でしたが、アンブロキソールがよく効いて(?)翌朝には消えていました。定期的に血圧測られたりしましたので、その日は断眠でした。まあ、手術で3時間くらいはぐっすり寝たからいっか。と気にしませんでしたが、ひたすら退屈だったので、バイタルチェックや採血に来る受け持ちナースちゃんと、ぽつりぽつり話していました。
4月1日水曜日・1POD
朝になると科によっては研修医や学生さんでしょうか、ゾロゾロと大名行列のような回診があり、退屈だったのでその光景を眺めていました。研修医時代のオーベンの先生が救急部の部長になっておられて、その大名行列の先頭にいらしてお爺ちゃん先生に何かを説明しておられました。救急科の患者ではなかったせいか、気が付かれなくてホッとしました。朝ごはんは、これまた主食5割、副食5割。と念じて右手でノロノロと食べました。担当医の先生が来てくださり、バイタルや採血のデータが良好だったため今日管、全部外しちゃって。とのことで(ドレーンと硬膜外麻酔以外ですが)、狂喜乱舞は出来ませんでしたがワーイ。と喜びました。ICUで日勤帯の、これまた初々しい新人さんナースに引き継がれ、体を拭かれたり管類を抜かれたりして、ガリバーから二本管人間になりました。開放感でいっぱいです。新人医師には、全員ガリバー磔の刑、ICU1泊体験。を義務付けたら良いのではないかと思いました。やられる側の気持ちの理解は大事ですからね。ちゃんとバルーンカテーテル付きでね!!!
胸部レントゲンを撮ってから、11時に呼吸器外科病棟に戻りました。レントゲンの際の息どめが、ものすごく辛く苦しくなっていた事に術後を実感しました。LUL (left upper lobe、左上葉ちゃんですね)の存在の大きさを思い知ったと言いますか。戻ったのは前と同じ部屋でした。ネギ畑ビューです。でも窓を開けているとヒバリや鶯の囀る声が聞こえて、のほほんとした気分になります。
執刀医の先生に、術後は動け動け。と言われていたので、通勤の訓練に。と思ってN95マスクをして初日にPTさんに歩行チェックをされたルートを1周しましたが深呼吸ができなくて、肺自身も4分の1減った状況にワタワタ、オタオタと戸惑っている感があり、自然と口すぼめ呼吸になっていました。空気が薄く感じて、N95無しならそうでもないのですが、マスク歩行はちょっと負荷が強くて疲れた+ドレーンの刺入部が痛かったのでこの日は1周しかできませんでした。ICUに持って行ったけど両手が使えなかったので出番がなかったラベンダーのエッセンシャルオイルを、ひどく痛む左肺喩と上葉があった辺り。とアパーナワーユの本拠地たる腹部に塗りました。こっそりとアーユルヴェーダ生薬のゴークシュラとハリータキーと漢方の六味丸を持ち込んでいて、人目を盗んでささっと飲んだので、バルーンカテーテルを抜去しても尿閉にはなりませんでした。50代になると弟も尿の出が悪いとか言ってましたし、わたしもワータ悪化時には排尿困難というか、アーユルヴェーダで言うところのムートラクルッチュラ(Mūtrakṛcchra)
になるのでそんな時は六味丸とゴークシュラを飲めば1、2回で普通に排尿できるようになっていたので、手術によるワータ悪化を見越して持ち込んだのでした。
元々胃が弱いので、鎮痛剤出す時は胃薬出してください。とずっと頼んでいたのにICUでアセトアミノフェンが3回も胃薬無しで出て(新人ナースちゃんが先生に頼んで怒られるのが嫌だったものと思われます)、病棟でもそうだったので、点滴を外すべく無理して食べていましたが食欲は全く湧かなかったので、やばいまずい、そろそろ胃痛が来る頃!?と怯えながら胃に詰め込んでいました。とてもNSAIDに弱い胃なのです。担当医の先生に胃の危機を訴え、昼から胃薬がつき始めました。お昼はメロンがさっぱりして美味しかったですね。
まだ味よくわからんけど。アーマ(未消化毒素)のせいで。

姉が好物のやよい姫を差し入れに持ってきてくれましたが、4粒しか食べられませんでした。いつも1パック一気にペロリと食べていたので、やよい姫の宵越しはわたし史上初ではないでしょうか。癌と確定したのであちこちに連絡をし、OM先生にBSDT大学のがんリサーチセンターで連絡可能なドクターの連絡先も聞きました。2本管人間なう。な感じで。

ちょうど日本に帰国されたばかりとのことで、もうちょっと遅ければ薬持って来れたのにーーー。とおっしゃってくださいました。まあ、そろそろ戦争の余波で飛行機飛ばなくなりそうだから、いつまで輸入できるかわかりませんけどね。できたら西洋医学の抗がん剤ではなくて、サダ先生のお家の家伝薬ぽい、治験していたアーユルヴェーダ抗がん剤が飲みたいなと思いまして。
強いワータの悪化故か、この日は珍しく1日便通がなかったので、初日に薬剤部へ預かられてしまった桃核承気湯を、今の体力だと強すぎるかな?と思いつつも一包出してもらって飲みました。21時40分就寝。
4月2日木曜日・2POD
午前2時15分に起きました。眠くならなかったので、この日記を書いたりネットサーフィンをして、3時半に疲れて横たわって5時47分まで二度寝しました。桃核承気湯が良く効いてくれて、上質の本州が生まれました。朝ごはんは胃に蓋がされたみたいで全く美味しそうとも食べたいとも思えず、無理をせず大半を残しました。担当医回診で、「昨日歩いてから午後刺入部が痛かったのでアセトアミノフェンより強い痛み止めくださいと夜勤の看護師さんに言いましたが、あれナシで。ちょっと胃がきついのでもう鎮痛剤飲みたくないんです」。と言いましたら辞めても良いし、胃薬だけ続けても良いし。と許可が出ました。わーい。そして体幹は、ドレーンが抜けるまで多分濡らす許可は出ないだろうと思ったので、髪の毛と下だけ洗いたい。と言いましたら看護師さんが洗髪台で介助します。とのことで予約をとってもらいました。お昼は鎮痛剤を止めたためか、ちょっと食欲が戻りました。
美味しそうでしたが、姉が美味しい美味しい、根津の谷の弁当を差し入れるから少なめにして待て。というのでご飯は1割くらいしか食べないようにして、美味しそうでしたが牛乳かん?杏仁豆腐?風なデザートも残しました。そして午前中にレントゲン後、3周したら汗をかきましたが午後のお昼後にまた3周歩いたら汗はかきませんでした。1階のレントゲン室まで行くのもそこそこ負荷なんでしょうかね?そして今日になってやっと気虚をちょっと脱したというか、「やる気」と「元気」が戻ってきました。ベッドからの起き上がりも、まだまだ上肢の力に頼ってはいますが前日よりは格段に楽になりましたし、傷の痛みもリークも減ってきました。ドレーン内の血液+浸出液の色も薄まって、赤から朱色になってきました。黄色い網網の袋に入ってるのは硬膜外麻酔ですね。パイナップルちゃんと呼んでいました。地味に邪魔。

執刀医の先生から、トパーズが示すリーク量が、毎分10ml以下が8時間連続で続いたら抜きごろ。と伺っていて、昨日は見るたびに60とか150とかだったのでしょぼん(´・ω・`) としていました。執刀医の先生には、わたしの左上葉と下葉がきっちり分かれていなくて、切ってから下葉を縫ったのでそれは仕方ない。と言われていました。この日は見ると0とか10なことが増えました。

8時間連続はちょっと厳しいかな。咳き込んだり動いたりすると30mlとかになっていました。この日記を書いたり、手術で良悪性が判明するまで手術のこと自体を内緒にしていた父や弟に手紙やメールを書いたりしていました。午後は美容院のように看護師さんに洗髪してもらいましたが、もともとシャワー室付きの個室なので、一人でやろうと思っていて確認のため聞いたら予約する羽目になり、ひっきりなしに電話がきて忙しそうだったので、乾かすのは自分でやります。下洗いも自分でやります。と断って自分で洗って帰りました。湯船にはいつ浸かれるんだろう?
シャワーを終えて髪の毛を乾かして一息付いていたら、4時過ぎに来ると言っていた姉が変な声を出してスタッフのふりをして入ってきたところでした。退職した義兄が送ってくれたそうです。根津の谷のお弁当を持ってきてくれたので、夕飯は丸っと残すことにしました。

昨日の差し入れのいちごも、食欲がないので昨日寝る前に4粒食べたきりです。昨日便通には納豆と玄米ご飯が一番効く、と言ったためか、納豆の差し入れもありました。まあ、普段は白いご飯は自作弁当が面倒でおにぎり買う時くらいしか食べませんからね。そしてその後執刀医ズが回診にいらっしゃり、トパーズちゃんの示す数値がとっても良いので、ドレーンチューブをクランプして陰圧をかけられないようにされました。鬱陶しい電源コードも抜いても良くなりました。15時46分。明日の朝のレントゲンで肺が萎んでいなければドレーンを抜きましょう。邪魔でしょ?とお茶目な部長先生に微笑みながら言われました。楽しそうに窓からの眺め(スカイツリーと東京タワー)を教えて下さり去っていかれました。外科医が天職というか、多分守護霊がつきまくっていて魂の霊格が高い気がします。呼外の部長先生。肺を切るならここ、S病院はお勧めです。本当、がんセンターのあのクソ医者、断ってくれてどうもありがとう!!!という感じですね。
その後1時間くらいして、入院して初めて胃がくぅ?と鳴きました。初めてお腹が空いたのです! ちょっと消化力、アグニ様が上向いてきたということで良い兆候です。胃の大敵・アセトアミノフェンを朝から止め、昼のご飯とデザートを残した甲斐がありました。わーい、となって差し入れの玄米菜食弁当を、よーく噛んで食べました。胃腸がアーマ(未消化物からなる毒素)でコーティングされているせいか、口の中がネバネバして舌にも白苔がついていたせいか、入院前のPET検査で休んだ日に食べに行った時よりは美味しく感じませんでした。残念。
準夜帯の検温では37.7℃と上がっていて、アセトアミノフェン止めたせいかしら。とも思いましたが、ここでまた解熱鎮痛剤に頼ってせっかく上向いてきた消化力を下げてはならぬ。と、こんなこともあろうか、と持ち込んでいたラベンダーとローズウッドのエッセンシャルオイルを左胸部と心臓(肺への血液の送り先が減るため、術後は心臓にも負荷がかかるそうでずっと拡張期圧が普段の1.5倍くらいに高かったのです)に塗りました。ラベンダーは穏やかな解熱作用、抗炎症作用がありますし、ローズウッドは悪化したワータ(手術という名の人工的に作られた外傷でもワータは悪化しますし、左上葉がなくなったので空間ができるわけで「空間」はワータを構成するエレメントの一つですから、よろず「切除術」はワータを悪化させます)を鎮めるのに最適な精油です。ワータの悪化の症状の一つが痛みですからね。この二つは組み合わせても良い香りなので、ラベンダーをキャリアオイルのように多めに滴下して、そこへローズウッドを混ぜて塗りました。熱あるし。と無理せず20時45分就寝。
4月3日金曜日・3POD
0時12分起床(?)。またネットサーフィンをしたりこの記録を書いたり疲れたら横になったり。をしていました。
院内の廊下が空いているうちに。と思って朝5時半過ぎにウォーキング3周。をしましたら、赤い朝日が差し込んでいてとても綺麗でした。
8時半の、朝のレントゲンのついでに売店によってめいらく?のブラックコーヒーを買いました。割と美味しかったです。胃の調子が良くないので、カフェイン切れ頭痛防止のためだけだったので5口飲んで捨てました。胸部レントゲンの際、ごく短時間息を吸って止めるのがやっぱりしんどいです。技師さんが移動している間は浅く呼吸していて、ドアの向こうに行ったな!ボタン押すな!と思われる瞬間の前後少しだけ息を止める。という手抜き技を習得しつつあります。

オレンジが美味しかったお昼を食べてしばらくするとH先生と担当医のO先生ペアが回診に来られ、管抜きましょう。とおっしゃって抜いていかれたのでやっと管フリーだよ!と嬉しくなりました。胸腔ドレーンの方は息を吐き止めてからスルン、と痛くもなく抜けまして、そのあとは圧迫固定です。医師二人がかりで阿吽の呼吸でパパパッと止めていました。硬膜外麻酔の方は、自分が根っこから抜かれている雑草になったような、えもいえぬ「引っ張られる感」が脊髄に沿ってありましたが、その違和感もすぐに消えました。口の中のネバネバ、不快さ。はこの日ようやくボストンバッグから(ドレーンが入っていた時は下を向くとちょっと痛かったので捜索を後回しにしていました)銀のタングスクレーパーを発掘したので、舌苔であるアーマ(毒素)をこそげ落としてスッキリしました。今日はまだシャワーは止めておいてね。とのことで、看護師さんにおしぼり置き場を教えてもらって、自分で拭いて着替えました。久々のパジャマタイプのパジャマです。甚平とか術衣とか、ああいう着物風のやつって医療従事者側からすると診察するにも処置とか更衣するにも楽なんですが、着崩れしやすいから個人的には好きじゃありません。
テレビの上に表示されている、かつてのネームプレート代わりの画面のCaution levelも、ドレーン抜去に伴い赤のlevel Ⅲから黄色のlevel Ⅱに下がりました。
この手記を書いて、飽きたり疲れると歩いたり、休んだり、スクワットしたり。と管フリーなのでのびのびと過ごしました。まだ若いのか、下手くそな鳴き声の鶯と、鳴きながら急上昇・急降下を繰り返す雲雀(思えば歌って激しく踊る安室奈美恵並にすごい肺活量ですね…)の鳴き声をのほほんと聞いては楽しみました。徐々に次週の、社会復帰が近づいてきたのでやや憂鬱です。久しぶりに職場携帯をチェックしたら、しっかりとオンライン診療患者を増やすべく、アプリ導入の打ち合わせ会議とか、今唯一のリピーター患者さんの月一の外来の予約が入れられていました。こんなに喋れない状況で打ち合わせとか無理っしょ。チャットで参加で良いかしら。
午後の回診は執刀医のK部長と、血のつながりはないのに雰囲気がK部長によく似ている、H先生ペアでした。経過順調ですね。東京タワー、夜になるとあの特有な色で見えて綺麗なんですよ、ホラ、あそこね。
と夜景ウォッチ指南をし、一応明後日日曜日退院で。その後外来で病理の結果とかはお話ししますね。と爽やかに去っていかれました。あの思わず人を笑顔にしてしまう、K部長の底抜けの明るさはすごいなと思います。
夜になると結構S病院は東京に近いので、都内の東京タワーとかスカイツリーがよく見えて夜景も綺麗な部屋でした。20時45分就寝。

4月4日土曜日・4POD
午前2時起床。8連休目なので、通勤リズムから入院リズムに切り替わってきたらしく、まだ眠かったので、さらに寝ました。8分連続歩行をし、朝ごはんをよく噛んで食べ、レントゲン撮影に行きました。今日は技師さんの指示に従って、普通の人がするような、術前のような、長い息どめに挑戦してみました。その後結構ハーハーして息を整えるのが大変でした(N95マスク付きだと)。大丈夫かいな。こんなんで、重い荷物もって自転車で通勤できるんかいな。と心配になりつつスクワットをしたり、11分連続歩行をしたりしました。連続なだけで、スピードとか安定性はイマイチです。まあ仕方ありません。体が適応するまでは。
血圧測定で、これまであまり出たことのない「150/92」とか、収縮期圧もそうですが拡張期圧の上昇も目立ったので、心臓も麻酔薬の毒性のダメージもあるだろうし、送血面積が減ったことによる圧負荷もかかっているだろうし。と思ってアーユルヴェーダの心臓薬といえばコレ。なアルジュナの錠剤をポチりました。あとは癌と判明したので、癌治療に使うトリファラーグッグルもいっちゃさんに注文したりしました。
12時のお昼ご飯で、茄子の煮浸しぽいおかずがありました。

あれ?わたし、茄子アレルギーって伝えたのにな?これはもしや、茄子に見えて実はサツマイモだったりするんだろうか?と思って廊下のメニュー表を確認しに行ったら「茄子」とあったので、あー。誤配膳かぁ〜。病院あるある。と思いました。食事を届けたのに廊下へ出てきたわたしを怪訝に思ったケアワーカーさん?介護士さん?看護助手さん?病院によって呼び名が違うのでよくわからない、看護師さんの補助的立場な方に声をかけられたので、かくかくしかじか。と言いましたら、お盆ごと取り上げられて看護師さんの方へ持っていかれました。多分証拠写真撮ったりとか、アクシデントレポートのためかな。と思いつつ部屋でしばし待ちました。でもその看護助手さん的立場の人も、わたしが茄子禁って知らなかったんですよね。名札に書かれていたのは「宗教的理由で」とホラを吹いて肉禁にしてもらった、その「肉禁」しか書いてなくて、なんで肝心のアレルギーな、茄子とキウイも書かないのかしら。とは思っていたのですが。まあ、だから配膳が個々の患者のアレルギーを正確に記憶している看護師だったらわたしの眼に留まる前に気がついたと思いますが、電子カルテにアクセスすることが多分あまり無さそうな、看護助手さんレベルだと個々人のアレルギー歴まではわかってなかったみたいです。札に書いときゃ良いのにね?と思いましたが。
そして1品減っちゃってごめんなさいねぇ。と謝られつつ、お昼ご飯を食べ終わった際に担当医のO先生が今日は土曜日なせいかお一人でいらっしゃいました。朝のレントゲンで肺の虚脱がみられなかったから。と昨日ドレーンを抜いた後の穴にビヨーン。となるテープを貼り、更にその上から防水シールを貼りました。これでもう退院後はシャワーも湯船も大丈夫。テープやシールは剥がれ落ちるに任せてください。とのことでした。
午後は雨風が強く、桜には酷な春の嵐、荒天だったので面会に来る。と言っていた姉に来なくて良いよ。と言いました。そのあとは自室でのんびりと術後初シャワー。を楽しみ、残り少なくなった休日をのんびりと過ごしました。
暗くなってから、明日退院がほぼ決まったのに看護師さんへのお礼のお菓子を用意していなかったことを思い出し、姉に夜に買いに出てもらいました。雨の中、すまぬ。
入院期間は1週間でちょうど良かったかもな、と思いました。最大のイベントの手術が過ぎると、入院生活自体に飽きてきたので。本質は引きこもりの出不精なので、こういうひっきりなしに人が出入りする環境(しかも高率にシェディングを喰らう)に疲れてきました。上げ膳据え膳でお掃除、洗濯までしてもらえるのは楽ちんなんですけどね。看護師さんズはかなりの確率で柔軟剤臭がしましたね。うち一人は夜に黒目の奥が妙に青ぽくキラーン☆と光っていて、ちょっとメカメカしくて怖かったですね。ブラックアイズベイビーに似たマット感ある黒目で、あー。頭までいっちゃったのね。という感じでした。
ドクターはブワッと臭ったのはお一人だけでしたけど。職務に真面目で、よく調べもしないで従来の不活化ワクチンと同じノリで、打ってしまっただけなんだろうなぁ。なので、自衛のため、手術日以外は携帯型グルタチオンをこっそり持ち込んで舌下しておりました。多分合併症予防、抗炎症としても働いてくれたと思います。そして個室なのを良いことに、窓を開け放って廊下側のドアも開けて、換気に努めていました。3月終わりから4月初めは荒天が多くて風の強い日が多くて、換気には最適でしたね。最初はケホケホしたネブライザーにもすっかり慣れました。21時1分就寝。
4月5日日曜日・5POD
3時58分起床。まだ動くと近所迷惑なので、メールチェックとかネットサーフをして時間を潰し、5時台になってからシャワーを浴びて、ご意見箱に投書する文章を考えたり書いたりしました。
私は小児喘息なので患者歴もそこそこあって医者としてもあちこちで働いたし患者家族としても色々な病院を見てきたけど、大抵どこも感じの悪い職員が数人はいてそれが普通だと思ってました。でもこのS病院はそんな人が一人もいなくて皆様、朗らか・礼儀正しい・真面目・気配り上手といった美徳を1つ以上備えておられたのが凄いことだと思いました。執刀医の先生方にも七面倒な、がんセンターが投げた症例を受け入れて頂き、大変お世話になりました。ありがとうございました。益々のご発展を。みたいな感じで。

最終日も胸部レントゲンを撮りに行きました。日曜日当番の(?)K部長先生の息子のK Jr.先生が回診にいらして、昨日担当医のO先生が剥がれるに任せて。と言って貼っていかれた防水シートをビリビリと剥がし、「レントゲンで肺の虚脱なかったです。もう何してもO.K.ですから。行動制限はありません。以後は部長の外来に定期的に通院して下さいね。お大事に。」とおっしゃったのでお世話になりました、ありがとうございました。と深々とお辞儀をしました。
その後退院時処方をもらって、看護師さんに忘れ物がないかチェックをしてもらってお菓子を渡し、お礼を言ってから1階へ。退院証明書をもらって自動精算機でお金を払って帰りました。結構わたし以外にも日曜退院の人、多かったですね。姉が車で迎えに来てくれたので、母の眠るお寺に報告がてらお礼に。忙しくてお彼岸も行けなかったので。アリンコが、雨上がりの巣の上に落ちていた桜の花びらを、自分の体より大きいのに咥えてせっせとどかしていました。白いたんぽぽやらピンクや紫のツツジ、赤い椿などいつ来ても色々な花が咲いていて、本当に良いお寺に入れてもらえたなと思います。その後お正月に行く地元の神社も行こうとしましたがお腹が空いたので近くの蕎麦屋へ。まだ舌苔が分厚かったので、梅おろし蕎麦にしてシャバ復帰を祝いました。季節の山菜の天ぷら蕎麦が美味しそうで目は食べたかったですが春に揚げ物はカファを悪化させますしまだまだアーマが取れてませんからね。流石に疲れたので神社は諦めて自宅へ。マンション3階に、術前の調子で一気に登ったらものすごい酸欠になってゼーゼーハーハーがひどくて、苦しい思いをしました。うーん、踊り場ごとに息を整えないとダメかも。という感じで長セリフも喋れませんし、肺気腫のひどいお婆さんになったみたいな感じです。酸素コロコロ引きづらないで良いだけまだマシなんですが。
肺気腫といえば、手術で上葉がなくなったので、下葉にとってはスペースが倍に増える、膨張できるわけでつまりは引っ張られる、ストレッチされるわけでそれって下葉が肺気腫みたいになるってことですか?
と管を抜いた時にH先生に伺ったところ、右中葉だけ残った方(つまり上葉と下葉を切除して3分の1になって上下のスペースが空いた状態)の中には残った右中葉が肺気腫になったという報告はありましたが左下ではないですね。とすぐ答えがありました。さすが専門医。
さて、禁輸が続きそうで政府は大丈夫!というだけでその政府を信じてまだ暴動にはなっていない様子ですが、いつまで日本社会は「日常」を引っ張っていられるんでしょうかね。すでに塗装業の方々は塗るモノがない。と訴えているみたいですし、病院もプラスチック製品買い占めに動いているみたいですが。
そして水晶のペンデュラムが敢えてわたしに「結核」と嘘をついた理由を考えてみました。多分、「癌」と言われたらわたしが放置を選ぶかもしれないと思ったのでしょう。「結核」なら人様の迷惑になるから、結核だとしても上葉切除なら根治術になるから、手術を受けることを選ぶだろう。と守護霊様が考えたのだろうと思います。まあ、インドで学ぶだけ学んで、それを他の人に伝える前に死ぬな。ということなのかな、と思いました。
あとまあ、それだけ悪魔崇拝者とそれに従う日本政府や官僚どもへの怒りと憎しみ、無知からあの遺伝子改変毒液を打って遺伝子組み換え毒ガス発生人間。になってしまった、加害者に回った接種者への怒り・悲しみと未来を絶たれた絶望。が癌を形成するくらい強かったってことだな。としみじみ思いました。また自分で自分を病気にしてしまった。とインドで疥癬にかかってしまった時ぶりに反省しました(あの時は採点不正のグジャラートアーユルヴェーダ大学に激怒したせいでした)。カファの異常+この強すぎる怒り・憎悪・悲しみが過去世で魔女狩りの魔女として槍で刺された・砦の兵士として敵にブロードソードで刺された左上胸部、わたしの霊的・肉体的弱点に根付いてしまったのだろうなと思われました。
まあ、今は悪魔崇拝者とその部下達へは「因果応報さんが仕事してくれる」と思っているので、もう今更怒っても仕方ないや。と諦めモードです。裁きを下すのはわたしの役目じゃない。あらあらまあまあ、どんどんカルマ増やしちゃって。とむしろ観戦モードです。
接種者で言葉が届かない人というのはいるものですし、その人の価値観・優先順位がやぶ医者のわたしの言葉よりテレビに出てくるファイザーからたっぷり献金された某学会の大学教授の発言や「ワクチン打ったという世間体」を重視する人なんだな、としか思わないので、これからはそう言う人たちのために骨を折る時間もエネルギーも、もうないですしね。
シェディングがどんどんきつさを増す一方なので、本当に滅入って早く猫に会いたいなあ。と思うばかりでした。
未接種ネズミと接種済みネズミを同じケージで飼うと未接種ネズミから死んでいくみたいですしね。ワクチン後5年が経ち、シェディングが厳しさを増してわたしみたいに非接種者でも癌になる人間も出てきました。平穏な日常はカウントダウンが始まりましたし、拗ねていないで「やるべきこと」を優先していかないといけないのかなー。国に従わないで出来るだけ生きてこの狂った世のいく末を見ていこうと思います。
さようなら、LUL。自分の至らなさから切り捨てることになってごめん。

